Octopus's Garden

半歩先の生き方・働き方を考えるブログです。

自己犠牲と隷属と社畜

 今週のルーズベルトゲームのテーマは「敗者復活戦」でした。今回は、やたらと「自己犠牲」を強調したのが印象的でした。

自己犠牲の精神

 自己犠牲の精神というのは、美しいものです。他人のために献身するからこそ得られる喜びというのがあります。

 

 最近では、「会社」「自己犠牲」という単語から多くの人が連想するのが、「ブラック企業」や「社畜」という言葉。

   いわゆる「ブラック企業」とよばれる会社では、経営者の多くが「自己犠牲」の尊さを説き、それによって多くの人が疲弊していく現実があります。

自己犠牲と社畜ブラック企業

 「自己犠牲」を払うことの喜びと言うのは確かにあるし、自ら進んで、誰かのために献身するならば、仕事にも情熱を持って取り組めるはずです。

 一方で、これが誰かに強制されると、途端に喜びがなくなります。このような状況は、「自己犠牲」というよりは「隷属」と表現したほうが適切です。

   会社、上司に隷属する状態、つまり世間一般で言われている「社畜」という状態です。

 ブラック企業とよばれる企業では、トップは自己犠牲を払うことの素晴らしさを知っていて、だからこそ、それを部下たちに説いています。

 しかし、その言葉が下に降りてくるに連れて、「会社に従え」「お客様は神様だ」となってしまう。あるいは、事業が成功するに連れて、トップ自身が変わってしまうのかもしれません。

 

自己犠牲を強制することの危険性

 クライアントのためであろうと、会社のためであろうと、それが誰かの利益になると思えれば、熱意を持って取り組めます。

    一方で、これを他人から押し付けられると途端に窮屈になります。

    では、「人に尽くすことの喜び」を誰かに伝えるにはどうするのがいいのでしょう? 

    難しい問題です。